子供の頃は、アニメに関わる仕事をするのが夢でした。
尊敬する手塚治虫先生による、
日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』から始まり、
それから60年余りが経って、
その間に日本で数え切れない位の
テレビアニメが作られてきました。
それらはクールジャパンと呼ばれるようになり、
現在の日本アニメ界は皆が知っている通りです。
たのしま荘 第19話
小学校時代
子供の頃パラパラ漫画を描くことにはまっていました。
よく、自分のノートや教科書の片隅に描いて、友達に見せてました。
それが好評で、よく、
「僕のにも書いて!」「私にも書いて!」と頼まれて、
頼まれて彼らの教科書やノートに描いてあげました。
小学生や中学生の頃、
アニメ映画を自主的に作りたくて、
8ミリフィルムカメラを欲しいと母に言うと、
「高いからダメ!」と
母に言われ、それがストレスでした。
一方で漫画家になりたいとの夢も持っていました。
その後、8ミリフィルムカメラは姿を消して、
デジタルカメラの時代になりました。
高卒後、社会人となり、
漫画家やアニメーターの夢は一旦諦めました。
その後90年代後半にパソコンやネットが普及しました。
その後生まれた動画サイトでは、
たくさんの人たちが
自主制作アニメを公開してました。
私も、GIFアニメを作って、
YouTubeにアップするようになりました。
結局、フィルムでアニメを作りたいとの思いは叶わなかったですが。
パソコンと複合機を用いて
アニメを作るためにコピー用紙を買って、
1枚1枚1コマ1コマ描いていってスキャンして
それをGIF制作アニメソフトを用いて
作るようになりネットで公開しました。
僕が通院している病院のソーシャルワーカーの方が
YouTubeで僕の自主制作アニメを見て、
「古謝さんの、そのアニメを作るスキルで収入を得る方法があればいいのにね」と
言ってくれました
でも心のハンディを持っているため、
夢を叶えたくてもそのために東京に行くのも無理でした。
沖縄に住んでることも含めて、
夢を叶えられる環境ではありませんでした。
当時はYouTuberと言う職業もななくて、
自分で作ったアニメで稼げるようなビジネスモデルもなく、
稼ぐ手段もほとんどありませんでした。
でも、その後、ランサーズやクラウドワークスなどの
クラウドソーシングサイトが生まれて、
そういったサイトを通して、
GIFアニメ制作の仕事をさせていただきました。
そのギャラは5万円でした。
一方でもう一つの夢だった漫画家については、
月刊誌『ぜんかれん』や
メンタルヘルスマガジン『こころのの元気+』に
漫画を描かせていただきました。
その他に自分で書いた漫画を、
Kindleで電子書籍にして出したり、
またクリエイトスペースと言う出版社から
印刷版の漫画本も個人出版してました。
それから今は自主制作アニメを作る時は、
作り始めから作品の完成までiPadでやってます。
昨日の日経新聞によると、Netflixが、
日本のアニメーターやクリエイターを引き抜きし始めたそうです
アメリカと中国による日本人アニメーターの争奪戦が起きています。
日本ではアニメーターが薄給のため、
高収入を求めて日本のアニメーターたちが
海外へ流出してるそうです。
日本のクリエーターたちの
海外への流出が加速しているとの事です。
中国アニメやアメリカ映画のために、
日本の優秀な人材が
海外のアニメ企業に採用されているとの事です。
そのニュースを知ったとき、
僕も若い時に内地でアニメーターになっておけばよかったと思いました。
半世紀以上の間に、テレビアニメと言う質の良い良作を
たくさん生み出してきたので
海外企業もその優秀な人材を欲しがっているんでしょう。
今、日本の優秀な人材が米中に引き抜かれています。
自分のような知名度の低い
個人のアニメーターやクリエーターとしては、
この好機にあやかりたいと思っていますが、
でもまぁ私は諦めずに夢を追い続けています。
今の時代1人で長編アニメ映画を作れる人もいますから…。
自分も個人でがんばります。
以下は、私が自主制作アニメのために参考にした本です。

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